事実は一つ!ありのままを見る 成長できる捉え方!

1945年8月15日、日本の降伏が国民に伝えられた。

広島、長崎への原爆投下の選択は正しかったのか?

アメリカはこの判断があったから第2次世界大戦は終わらせることができ、この世界を巻き込んだ大きな戦争の犠牲者をこれ以上出さない為には致し方ない選択であり、間違いではないという認識を持っている。

我々日本としては到底許すことのできない残虐的な行為であり、二度と同じような悲劇を犯してはならないという思いは相手国も含め、おそらく世界満場一致であることは間違いないでしょう。そう信じます。

しかし、我々日本人の中にあの戦争からの復興があったからこそ、今の日本の経済力と平和が築き上げられてきたと必要以上に思わされてはいないでしょうか。

・・・果たしてどうなのか?

もちろんその時代を担ってきた世代の方々には、大いなる尊敬とはかり知れない感謝の念しかありません。

今現在が存在している以上、それは間違いのない事実です。

ここで取り上げたいのは、
別の選択肢はなかったのかという事です。

終戦間際の歴史をよく見ていくと、ルーズベルトおよびトルーマン政権の上層部は、原爆投下の数ヶ月間から既に日本が戦争を終わらせる道を必至に模索していたことをよくわかっていたという。

日本の降伏は、1945年の春にはもう目処がついており、つまり原爆の必要はなかったのではないか、原爆投下以前に壊滅寸前の日本は戦争を終わらせたいと密かにアメリカに打診していたとも言われている。

参考リンク
「原爆は必要なかった」アメリカの“原爆神話”に異を唱える米識者の主張とは 

それでも1945年8月6日AM8;45の広島への原爆投下は必要だったのか?広島の人口の約半分近い15.6万人の方が犠牲となっているという。投下後の入所被爆者を含めると56万人の方が被爆したとされます。

さらになぜ3日後の2発目の9日AM11:02の長崎への投下が必要だったのか?長崎の人口の約4割、7万4千人の方が犠牲となっています。

原爆投下前と後

根本的な疑問として、この二つの悲劇が行われなければ、本当に戦争は終わっていなかったのか?

仮定事実と比べることはできませんが、あの悲劇が無ければ、太平洋戦争の終焉は確かに遅れていたかもしれない。

確かに今の日本の状況は違ったものになっていたかもしれない・・・?

ここまで豊なになっていなかったかもしれない・・・??

かつては経済大国と呼ばれていた程の発展を成し遂げていなかったかもしれない・・・???

今より悪い状況になっていたかもしれません・・・???????

・・・・・果たして本当にそうでしょうか?
今回はここが大きなポイントなのです!

あの原爆の悲劇が無くても何も変わらず戦争は終わっていたのではないでしょうか?

この時代も今とさほど変わらない状態かもしれない。

経済大国と呼ばれていた国家をしのぐものに発展していたかもしれない。

今よりも豊かになっている可能性もありませんかね?

どうでしょう?終焉の為、致し方ない、やむ得ない正しい選択であったという結論には、それ以外の選択肢を選んだ場合は、今現在よりも良くなってる可能性が全く無いというのが前提となってしまっているように感じます。

アメリカの立場の捉え方!
日本の立場の捉え方!
私個人の立場の捉え方!(このブログの内容)

それぞれの立場での捉え方次第で大きく世界の見え方が変わってしまうものです。

なぜならそれぞれの立場で正義の価値観や定義が変わってしまうからでしょう。

例えば戦後しばらく、日本では原爆の被災国としての教育が濃い影響なのか、真珠湾攻撃に至る以前の加害者的立場として歴史の事実はあまり教育されていない印象を受ける。(今もそうかもしれない)なぜなのでしょうか?

またアメリカでも子供たちに全てを教えてはこなかった。なぜなのでしょうか?

ズバリ!お互いに公にできない不都合な真実があるからではないでしょうか。

我々日本人としては、ここでは最低でも真珠湾攻撃に至る以前の歴史的背景の経緯、日清・日露戦争、満州事変、日中戦争から真珠湾攻撃の真実、そして原爆投下に至るまでの経緯を第三者を含めてお互いの立場から全ての事実をありのままを明らかにして受け入れ、

勝ち負け、善悪の結論だけを探すのではなく

自分ならどう考えるのか?

という事を考え続け、話し合い、

人類がよりよく成長していくことを前提に気付きと学びを共有する事が大切ではないかと考えます。

地球という大自然の摂理に生かされている者同士、もっと俯瞰した大きな枠で物事を考える事は決して間違いではないでしょう。