
先日、娘から今日の社会科の授業は下水処理場のお話しだったんだ!という話を聞かされ、親としてもあまり理解していない部分があったので、下水処理施設の動画を見て色々と調べてみると、日常の些細な重要な事に気付き、人間として忘れてはならない感謝の感情が湧いてきました。
僕らは身体から排泄物を不安なく出せる環境が整っているからこそ、安心して食物を食べられる、取り入れることができるのだと思うのです。
便をもよおした時は、当たり前にトイレに行き、大便、小便を排泄したら流して ハイ❗️おしまい❗️という感覚でいましたが、もし下水処理場がなく、自分で出したものを自分で処理をしなければいけない状況であれば、誰もが持っている大切なものの価値観が大きく変わるような気がします。
しなければならい状況である以上、汚ないという感覚は時期に無くなるとは思いますが、効率良く処理するために、なるべく身体から排泄物を出さないように色々食べ方を考えるようになるでしょう。
例えば、より多く身体に吸収されやすくするために、水分と共にゆっくりよく噛んで食べるよになるでしょうし、食べる量も必然的に少なくなるでしょう。
無駄なく大切に、残すことなく大事に食べるようになるのでないでしょうか。
何も考えないでただ出されたものを当たり前に食べるのではなく、少しでも効率良く身になる食べ方を考えるはずです。
僕たち現代人はここにきて初めて食物に対する感謝の念が涌き出てくるのではないかと思うのです。
だからこそ食べ物に携わった方々、そして自分のエネルギーになることに犠牲となった動植物に対して感謝する事を忘れてはいけないのです。
”いただきます”なんですよね。

そして少しも無駄にすることなく、残さず食べ終え血肉となる準備ができたら再び感謝です。
”ご馳走様でした”なんですよね。
従って僕たちが毎日当たり前においしくご飯を食べられるのは、身体から排泄物を出した後の処理に一切不安が無いからなんです。
現代人の僕らにとっては、物心ついた時から当たり前の環境であるがゆえ、食に対する感謝の気持ち全般が忘れ去られているように思えてなりません。
しかも下水は地中を通り、僕らが目にすることは無く処理場へ到達し、浄化され、まったく知らないうちに自然へ帰っていきます。
それが良い事なのか悪い事なのかはさておき、そこには排泄物を出した個人としての責任を全く感じないシステムが確立されています。
だからこそ感謝を忘れてはならないと僕は思うのです。
下水処理を考えた人達から作った人達、そしてそこで働く人達、さらにこの下水処理システムが整った時代に生まれて来たことにおおいに感謝しなければならないのではないでしょうか。
トイレの神様❗️
トイレ掃除が大切だと言われる由縁や成功者にトイレ掃除を必要以上に重要視されている方々が多いことに納得できます。
このように考えると、もはや些細な重要な事ではなく、重大な重要な事です!
感謝の反対は当たり前感です。慣れです。
自分にとって同じ良い出来事の繰り返しが、時間が経つと何事も当たり前に感じてしまう事です。

生命から全てを学ぶ!
よく人生は修行の場といいます。どんな宗教でも、怪しい新興宗教以外では、概ね共通して言われている事です。スピリチュアルな世界、霊的な世界でも同じ事が言われています。
修行とは鍛えぬいたり、耐え忍んだりするだけではなく、こういった些細な重要な事への気付きを大切にしていく内容も大いに含まれていることだと思います。
もしかしたら本当に僕たちは別の世界(魂の世界?あの世?)から、勉強や修行して成長するためにこの世に生まれてきたのかもしれません。
では僕たちは何をもって修行し成長していくのかと考えますと、別の世界(魂の世界?あの世?)に無くてこの世界にしか無いもの・・・。それは存在するものです。物質と言っても良いかもしれません。
今、目の前にある机、椅子、パソコン、ペン等々、その他空気や電気や石油等の資源・・・。そして食べ物。全てです。これら全てに共通するものは何か?
それを考える事、それに気付く事が最も大切です。
それは何かと言いますと限りあるものということです。
存在するもの、物質には全て限りがあります。永遠そのままな物はありません。少なかれ必ず変化していきます。無常なのです。
限りあるものをどのように、なんの為に、何の目的に使うのか、分けるのか、壊すのか、それを基に別のものを作り上げるのか・・・。色々選択肢があります。
その中でも生きてく上で重要度の高い資源や食べ物をどのように扱っていくのか?
先ほどの排泄物の考えもここに当てはまります。
そして色々な選択肢の経験で僕たちは成長していくのだと思います。もっと言うのであれは、僕たち人間は経験でしか理解できないことや腑に落ちないことが多く、その経験が無ければ感覚がつかめず、真の成長ができません。
僕らはそんな自分だけの唯一無二の様々な経験をするために生まれてきているのだと思います。
ではそんな人生の修行をする上で、限りある存在するもの中で最も重要度の高い究極なものは一体なんなのでしょうか?
それは手、足、身体、内臓、脳そして血液、心臓、鼓動・・・・そう!

生命です。
かけがえのないあなた自身の生命です。
この限りあるあなたの生命をどのように使っていくのか。
この限りある生命を通じて何を経験していくのか。
この限りある生命を通じて何を知るのか。
この限りある生命を通じて何を感じるのか。
この限りある生命を通じてどんな成長をしていくのか。
この限りある生命を通じて何になろうとしているのか。
この生命こそが、限りある存在するものの究極の根幹です。
だから粗末にしてはいけないのです。
だから自殺はしてはいけないのです。
他殺なんてもってのほか、それらに付随する戦争・暴力・いじめ等の行為も絶対にしてはいけないのです。外的暴力ではなく内的暴力、心を傷つけることも同じです。
こんなことは当たり前な事です。
それでも自殺や他殺、戦争、暴力、いじめは無くなりません。
みなさん自分の生命にしっかり感謝できているでしょうか?
宇宙が誕生してから何百億年??
魂の生命は永遠かもしれませんが、今のあなたという肉体は、今生だけのものです。長い宇宙の歴史の中でもこれから未来永劫この肉体しかありません。
もう一度繰り返しますね。
みなさん自分の生命にしっかり感謝できているでしょうか?

明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは
鎌倉時代、親鸞聖人の詠まれた詩です。
儚い桜の花のように、我々の世も、いつどこで何が起こるかわかりません。
その生命さえ当たり前に明日もあるとは限りません。
僕たちはみんな必ず死にます。すでに死亡率100%の人生という病気にかかっているのです。
下水処理の内容から大分飛躍してしまいましたが、自分の生命から色々学び、死生観としっかり向き合い、人間とは何か、自分とは何かを真剣に考察し、些細な重要な事を見失わないそんな人間でありたいと心より願います。
